名付け親      教会長
  

 皆さんは、自分の「名付け親」と、その名前の由来や願いは、一度は聞いたことがあると思います。さまざまな思いを込められて名付けられています。 私の名前「正明」については、父が、私の生まれた日に、難波教会三代教会長の近藤守道先生のところに、誕生のお礼参拝をさせていただき、その際に名前をいただいたと聞かされていました。父の「明」の字と、その日に誕生日を迎えられ、父の前でお礼のお届けをされていた、ある先生の文字「正」をくっつけて名付けられたということ(諸説ありだそうですが)です。説はどうあれ、文字の通りの人に育ってほしいという願いが感じられました(実際、正しく明るい人間かどうかは疑わしいのですが)。

 その名付け親である近藤守道先生が亡くなられて、先月25日、50年になり、年祭が仕えられました。私は墓前祭の典礼のご用を賜り、改めて、お霊様に願いをかけられているなあと、感激の中でご用のおかげをこうむりました。
 祭典当日に配布されたパンフレットに、守道先生のおことばが紹介されていましたので、転載させていただきます。
「とにかく、ご用というものは、わしは毎朝神様に、どうぞ今日もご用にお使い下さいませ、ということをお願いしておる。また一日がすんだら、お使いいただきましてありがとうございました。とお礼を申し上げておる。それだけしかないんぞ」
「朝目をさまして神様に向かったら、最初に『今日も神様どうぞご用にお使いくださいますよう、お願い申し上げます』と申し上げてご用させていただくように。これは私の父(二代明道先生)から私に頂いたみ教えです。これを皆さんに、私からのみやげとしてあげます」

 
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